藤田茂とロボット皇帝

水野重康


「へいきちさん」有難うございます。
本当に何十年ぶりかで「ロボット皇帝」を見る事が出来ました。
感謝にたえません。重ねて有難うございました。


さて、「藤田茂」を知っているのは「プロ」を除いたら、今では私ぐらいのものです(元々有名ではないので・・・)。
この様な「ドヘタ」(後述します・・)な画のどこが良いのかサッパリ分らない・・・と思うのが当たり前でしょうね。


藤田茂」は旧・「漫画少年」末期の新人の一人として登場しました。

「藤田茂」は大変な映画好きでありまして、特に「SF物」には本当に「目がなかった」人(故人なので・・)でして、「東宝」の「お墨付き」を貰って、認知された、後にも先にも「日本で唯一の怪獣マンガ家」なのです。

そして、その作風は一風変っていました。
神様「手塚治虫」を始祖とする多くの「マンガ家」達は「映画の手法を自己のマンガの中に取り入れよう・・」と心がけ、試みました。
しかし、「藤田茂」は違っていたのです。
「映画の世界を漫画で表現しよう・・」と思ったのです。
ですから、「へいきちさん」が公開して下さった「P24・P25」の二頁は「構図が物凄く映画的」なのです。
処が、残念なことに「画がヘタ」なので、意欲は分るのですが何か「サマ」になりません。


そして、この手法が面白がられまして、「新人」ではありましたが「あかしや書房」から「東宝怪獣映画」を「シリーズ化」して漫画刊行する・・と言う企画をまかされ、「ゴジラ」〜「美女と液体人間」まで全部漫画化してしまいました。
これにより「怪獣漫画家」となってしまったのです。
そうこうしている内に「少年画報社」より「ロボット皇帝」の連載が始まりました。


この大まかなストーリーは以下のごとくです。


「物語」は次の言葉からはじまります。
「むかし・・地球に悪魔がやって来た」
太古の昔、宇宙最強の「怪獣ガロン」が地球に飛来した。
「ガロン」の目的は謎のままに、「ガロン」はそのまま長い眠りに付いた。
時は流れ、20世紀。
地球制圧を企てる「Z団」(ものすごくチープ・・)と言う秘密組織があり、「地球防衛機構」との絶え間ない戦いが続いていた。
この時、地球に出現したのが「土星付近」より飛来した「ロボット皇帝」と名乗る、「謎の球体」であった。
「ロボット皇帝」の目的は「人類の完全制圧」とそれに続く「人類皆殺し・ジェノサイド」であった。
「データー」を取るために「人類の叡知」のような「脳髄」を採取する「ロボット皇帝」・・。
「Z団」と「ロボット皇帝」は反目し戦いが始まる。
しかし、「Z団」は海底に眠る「宇宙怪獣ガロン」を覚醒させ操縦する事に成功し、一気に全人類と「ロボット皇帝」に全面戦争を布告した。
暴れ回る「ガロン」に対抗して「ロボット皇帝」は「ロボット怪獣・モガラン」を呼び寄せ、大東京を舞台に「ガロン対モガラン」の死闘が始まった。
(この辺りは、後の東宝怪獣映画の先取りですね)


・・と言うお話なのですが、よく見ると全くの「東宝怪獣映画」でして、「怪獣漫画家」の面目躍如です。
物語は「火星」へ向かう「モガラン」の姿で終わるのですが、「ガロンとの「火星」を舞台にした「新たなる戦い」が始まるのか・・は「未完」の状態です。


「へいきちさん」が丁度良い所の二頁を紹介して下さったので有り難く思っておりますが、P25のほぼ中央付近に有る「蛇」を思わせる様な球体が「ロボット皇帝」です。「球体」の中に詰まっているのは、地球人より採取した(?)「脳髄」です。
その「ロボット皇帝」の左側にいる「快傑ゾロ」みたいな「変なオヤジ」が「Z団の首領」です。


宇宙怪獣ガロン」は「カッパの親分」の様に見えますが、もう少し「格好の良いカット」も有ります。
私はこの「ガロン」が大好きでして、「ガロン」の使用許可を個人的に「藤田茂」にお願いし、了解を得ております(但し、今は故人です)。


・・と申しますのは、私が個人的に小学生の頃から書き続けている「大長編SF」の中に、この「ガロン」を主要キャラクターとして登場させているのです。
「藤田茂」と面談させて頂いた時に「私は画がヘタですよ〜」と繰り返し仰っていましたから、これは「間違いない・・」と言う奴ですね。


ロボット皇帝」の事をこの「懐かし掲示板」に書き込めるとは思ってもいませんでした。
あまりにも「マニアック」すぎて「懐かしさの共有」が出来ないのではないか・・とは思いますが、「マアこの様な話も在りましたネ・・」と思って下されば幸いです。


2004年7月

ロボット皇帝」の画像はこちらです。

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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